挙式 エピーソード

結婚式場さがしがしあわせの絶頂だったわたしの帰れないあの頃

わたしが「ささやかな夢として思い描いた結婚式」は、「彼との出会いが具現化してくれるもの」と信じていました。わたしと彼との出会いは大学生のときで、「わたしの親友の紹介」がきっかけでした。どちらともなく惹かれあい付き合い始めましたが、おたがい就職も決まり卒業を控えた頃、彼の方から別れを切り出されました。理由は、「ふたりが社会人として一人前になったときもう一度付き合おう」ということでした。わたしも「彼の言葉」に納得して、再会を夢見ながら仕事に没頭しました。

月日が過ぎ三年が経った頃、彼から連絡があり久しぶりに再会することになりました。彼は「当時の風貌のまま年齢を重ねた姿」でわたしの前に現れ、「いつもの口調」でわたしをからかいました。ふたりは再び付き合い始め、「結婚」を意識するようになりました。ふたりでいくつかの「結婚式場」を回るのが「デートの定番」となりました。わたしの希望する「結婚式場」が見つかるまで辛抱強く付き合ってくれた彼ですが、実は一度結婚しており、「再会したときが離婚調停の真っ最中」だったことを後から人づてに聞きました。

ですが、「わたしの彼への愛」は揺らぐことなく、「わたしの希望した結婚式場」で「夢にまで見た結婚式・披露宴」を挙げることができました。「結婚生活」も「おたがいの仕事」も順調で、このまま「幸せな時間」が過ぎていくものと信じていました。それからしばらくして「彼が家を空ける機会」が日増しに増えていくようになりました。最初は、「たぶん仕事が忙しいのだろう」と思っていましたが、彼に直接尋ねると「毎日実家に寄っている」ということでした。

これもあとからわかったことですが、「前妻との間にできた子どもを実家で引き取った」みたいです。このことがきっかけになり「味気ない結婚生活」になってしまいました。「知らなければ良かった」と今でも後悔しております。彼は、一度結婚していたわけですから子どもがいても不思議はないです。「彼と結婚できたこと」に満足してしまって、「彼の空白の三年間」に理解を示さなかったわたしにも責任があります。ちなみに、「わたしの親友」は「彼の状況」を知っていたらしく、わたしを案じて口をつぐんでいたそうです。

「結婚式場さがしがしあわせの絶頂だったわたしの帰れないあの頃」が懐かしく思える今日この頃です。

両親が出席を拒んだ無職の彼との人生最高の舞台

わたしが彼と出会ったのは、「25歳のわたし」が受付担当として勤務するIT関連会社のサーバ保守の担当者(別会社)として「28歳の彼」が訪問して来た時でした。おたがいの第一印象はあまり良いものではなく「付き合う予感」すら感じさせないほどでした。ですが、世間話でわたしと彼が同じ高校の出身だとわかったとき、「ある種の親近感」が生まれ、ほどなく付き合うようになりました。二年の交際を経て、「結婚」を意識し始めたとき「ふたりの将来を左右する大問題」が起きました。

その問題とは、「彼の勤務する会社が大手メーカーに吸収合併され、所属する部門が廃止になったこと」です。「人員整理の対象になること」はなんとか免れましたが、「地方の工場勤務」に回されることになり熟慮した上退職することになりました。「高卒30歳のSE(システムエンジニア)の再就職」は、案外簡単ではなく面接には到達しますが、「30歳にもなって安易に退職したことが原因」で採用に至らない状態でした。

それが「わたしの両親の印象」を悪くして「結婚を望めない状態」になってしまいました。それに対し「彼の両親」は、「失業保険が切れるまでに年齢に関係なく通用する資格を取り再就職をすれば良いという考え方」だったので「結婚」に関しては「賛成」でした。

結局「わたしの両親が欠席した結婚式」を催しましたが、わたしにとっては「人生最高の舞台」となりました。なぜなら、「無職の彼の無限の可能性を信じてみよう」と思えたからです。わたしから見ても「父親に似て寡黙な努力家の彼」ですので「再就職への道」は険しくないはずです。また、わたしにすれば「両親に従う道」を自身で閉ざしたわけですから、「彼との新しい道」をふたりで構築することしか残されてはいません。そして「新しい道」を歩み始めたとき、両親に堂々と会えるような気がします。

「わたしの両親の欠席がもたらした結婚式」は「わたしと彼との忘れられない一生の財産」となりました。

バツ2男の私を震撼させた結婚式という呪縛

わたしは、「40代のバツ2男」ですが、縁があって「初婚の30代の女性」と「半年の恋愛期間」を経て、先日結婚式を挙げました。わたしにとっては「三回目の結婚式」になったわけですが、今までの経験はまったく役に立ちませんでした。「そのときの顛末」について記したいと思います。

「女性の結婚式に注ぐ情熱」は、男性には理解しがたいもので、「式場担当者との打ち合わせ」に時間をかけた割には準備が進まず、結局は「女性まかせ」になってしまいました。特に「前撮りの写真撮影」の時には「女性の衣装替え」に時間を取られ「一日がかり」でした。また、「披露宴の演出」についても「担当者が丁寧に説明している」にもかかわらず「質問責め」にして困らせたり、「式場スタッフの負担」を増やすような「お願い」をするなど、同席をしていて恥ずかしい場面が幾度もありました。

女性にすれば、「一生に一度の晴舞台」ですからある程度理解はできますが、「二度経験したわたし」にとっては「費用面ばかり」が気になり落ち着きませんでした。「結婚式」においては、やはり「女性が主役」で、男性は「刺身のつまになる覚悟」がなければ臨むことができないと再び実感しました。

「女性の希望をすべて叶える度量」を持てれば良いのでしょうが、「女性の欲望の限界」には底がありませんから、「対応の仕方」を男性なりに工夫するしかないのかもしれません。その面では、「式場のスタッフの方々」も苦労されていることでしょう。結局は、男性は「結婚式という呪縛」からは、何度経験しても逃れるすべを見つけることができないと思いました。なお、今は当然ながら「四度目」はまったく考えておりません

煮え切らない彼に突きつけた結婚式という最後通牒

わたしと彼は、「関西の私立大学の同級生」で在学中に付き合い始めてすぐに「同居」を始め、おたがい就職が決まったのを合図に「入籍」しました。わたしとわたしの両親は、彼に「早急な結婚式・披露宴」を迫りましたが、「仕事の忙しさ」を理由に延ばされる有様でした。わたしは、「彼の決断力」に惚れて「付き合い」「同居」「入籍」したわけですが、いざ「結婚式」に関しては「いつもの決断力」を発揮してくれない様子でした。彼にすれば、「共働きにせよ生活にさほど余裕があるわけではないので、無駄な費用は使いたくない」というのが、「彼の本音」だとわたしは感じていましたが、実際は「車とバイクという自分の趣味」に費用を掛けたいので、「結婚式はする必要がない」というのが「彼の本音」でした。

わたしにすれば、当然女性ですから「美しいドレスや豪華な打掛が着られる結婚式・披露宴」にあこがれますが、彼には「わたしの純粋な気持ち」が理解できないみたいです。「同居生活」が長かったせいか、彼を「釣ったさかなに餌をあたえる重要性に気付かない性分」にさせてしまったわたしにも責任があると思い反省しました。

そこでわたしは、「彼の性分を改めるべく二つの劇薬」を用意しました。それは、「大阪家庭裁判所の離婚調停呼出状」と「車とバイクの廃車届を添付した結婚式場の正式申込書」でした。期日は「呼出状に記載されている日」までで、彼に「選択の自由」を与えました。彼は、「離婚届ではないこと」に安心して約束を反故にしようと試みましたが、「釣ったさかなの最後の反撃」を恐れてしぶしぶ「結婚式場の正式申込書」を選択しました。「式の費用」は、「廃車届を出さないこと」を条件に「彼の預貯金をすべて」吐き出させました。彼は、「釣ったさかなの血抜きを怠ったこと」を痛感したことでしょう。

これが、「煮え切らない彼に突きつけた結婚式という最後通牒」の詳細です。

わたしの人生で二度と経験できないと感じた結婚式の思い出

わたしには、小さい頃から「結婚式への強いこだわり」があり、是非とも「彼との結婚式で実現したい」と思っていました。気弱な彼をなんなく説得して実現した「結婚式」をここに再現させていただきます。「モチーフ」になったのはわたしが8歳のときに招待された「歳の離れたいとこ(父親の姉の子供)の結婚式」です。当時彼女(いとこ)は、大学に通うためにわたしの家に下宿しており、勉強を教えてもらったり一緒に遊んだりしていました。「大学在学中に急遽決まった結婚」は、「地元の大手造船会社の社長の御曹司に見初められてのこと」でした。「豪華客船を貸し切った結婚式・披露宴」は、わたしに「眩しく夢のような興奮」を植え付けました。

「わたしの結婚式・披露宴」は、予算の関係で「客船」ではなく「廃船が決まったフェリー」を特別に貸し切り催しました。「船舶法」の制限でクルーズはできませんでしたが、「手の込んだ内装を施した船室と別れを惜しむ船員が磨き上げた甲板」は、わたしの理想を超えてすばらしく、「夕日が沈む瀬戸内海」を背にして「永遠の愛」を誓いました。「披露宴」は、「広い車両甲板に絨毯を敷き詰め立食形式」で催しました。「式と宴の運営」は「実際にフェリーで仕事をされていた方々」がしてくださり、「船への愛着が身に沁みて分かるほどの接待」を受けることができました。「夢のような時間」は光のような速さで過ぎ去りましたが、「船の最後の雄姿」は今もわたしのまぶたに焼き付いています。

これが、「わたしの人生で二度と経験できないと感じた結婚式の思い出」です。

彼がこだわった二人だけの結婚式で学んだこと

わたしと彼の出会いは、特段めずらしいものではなく、「ありふれた男女の物語」なのでここでは省略しますが、「結婚式」についてはわたしに「ある教訓」をもたらしたので、詳しく記したいと思います。なお、「彼への愛」は今も変わらず持ち続けています。

「わたしたちの結婚式」は、「彼のたっての希望」にわたしが答える形で「新婚旅行を兼ねた海外のチャペルふたり婚プラン」を選択しました。わたしは、「親族や友人に祝福される普通の結婚式・披露宴」を望んでいましたが、「両親との折り合いが悪い彼の境遇」に同情して「キリストと牧師だけが見守る寂しい結婚式」を挙げました。後悔はしておりませんが、「披露宴も催さなかった」ので「彼の両親はわたしの存在すら知らない状態だった」のです。わたしの両親はなんとか説得できましたが、妹には今でも責められています。

「結婚式はふたりの愛が両家の絆をを結びつける最初の儀式」といわれますが、「わたしたちの結婚式は両家の分断を決定付けた最低の儀式」になってしまいました。将来的にも修復は不可能だと思われます。ですが、「わたしたちの結婚生活」は当初より幸せに満ち溢れ、彼の仕事(自営業)も順調なので、「おたがいの両親の本当の気持ち」を忖度(そんたく)する余裕はなかったというのが本当のところです。

ところがある日、彼が唯一慕う叔父(彼の母の弟)より「驚くべき話」を聞かされました。それは、「実は彼の両親もおたがいの親の反対を押し切って駆け落ちをした。当時母親が彼を身籠っていたので、父親が自分の責任において母親を守るべく強引に結婚を押しすすめた」ということです。

結局、彼は「両親との折り合いが悪い」のではなく、「父親を手本にしてひとりの女性を守るべく行動した」というのが実状です。結婚においては「家族の祝福」はあるに越したことはないですが、それを反故にしてまでも信念を貫き通した「彼の心意気」に惚れ直しました。「夫婦の形」はいろいろなので、「わたしたち夫婦」が特別なものだとは思っておりません。ちなみに、「彼の両親」とは、「彼の叔父のはからい」で連絡を取り続けています。彼には内緒なので心苦しいですが、「彼に一生寄り添っていく覚悟を決めたわたしの心意気」を彼の両親にわかってもらえれば、満足です。

これが、「彼がこだわった二人だけの結婚式で学んだこと」の始終です。

媒酌人がかなり年下だったオーバーエイジウエディング

わたし(40代男性で大手製薬会社のMR)が招待客として参加した「結婚披露宴」が非常に興味深かったので、ここに記したいと思います。わたしは、新郎新婦とは縁もゆかりもなく、上司の代理として貴重な休日を費やしてまで出席した次第です。しかし、「新郎新婦の穏やかな表情」に癒され、気分良く会場を後にしたのを今でも覚えています。

新郎は「50代の某国立大学医学部付属病院の研修医」、新婦は「同じく50代の大学の学食のおばちゃん」という異色の取り合わせでした。「なれそめ」は割愛しますが、新郎は長年「地方の市立病院の事務員(公務員)」として働いていましたが、「地域(僻地)医療のあり方」に疑問を持ち40代後半に一念発起して医学部を受験して合格した「努力家」です。新婦は「新郎が利用していた学食の栄養士として新郎を陰で支えた魅力が少し残る女性」です。おたがい再婚だそうです。

「媒酌人」は、「30代と思しき夫婦で夫が新郎の研修担当の医師」だそうです。「新郎新婦のなれそめ」はそこそこにして、「自分の自慢話に終始する媒酌人」に会場はしらけていましたが、「新郎新婦の穏やかなまなざし」に招待客は感銘を受け、満足している様子でした。「媒酌人の夫は付属病院で出世コースをひた走る医師」、それに対して「将来は僻地医療に生涯を捧げる予定の研修医の新郎」の対比が微妙な雰囲気を醸し出す「結婚披露宴」はわたしに「人生におけるひとりひとりの役割」というものを教えてくれました。また、「目は口ほどにものを言う」ことを実感しました。

これが、「媒酌人がかなり年下だったオーバーエイジウエディング」の全容です

ふたりの将来を暗示したような結婚式を経験したわたし

わたしたちは、「人並みの恋愛」をして結ばれた夫婦ですが、今でも「結婚式・披露宴」のことを想い出すと、「深い感慨」に浸ります。「良かった悪かったの問題」ではなくて「結婚式が将来の結婚生活をあまりにも暗示していた」ようで、「気分を晴れやかにしたり落ち込ませたりした」のです。その「一部始終」を述べますので、参考にしてください。

「結婚式・披露宴」は、「大手の結婚式場」で挙げたのですが時間も掛けず慌しく決めたもので、「入念な担当者との打ち合わせ」ができず「式の流れ・披露宴の演出」がわからないまま臨みました。決して「式場側に責任がある」わけではなく、「わたしたちの準備不足」がその事態を招いたことを述べておきます。

実は、「彼の病気の再発」と「わたしの妊娠の発覚」が重なったもので、「結婚式を急いだ」次第です。彼の場合は、「仕事のストレスによる胃潰瘍」なので、重病ではないですが「入院・手術」が緊急を要していました。わたしはというと「妊娠初期」なので自覚症状はないですが、「母体に負担のかかる行動は慎むこと」を注意されていました。なお、「式場の担当者」には詳細を説明しましたが、「他のスタッフには内密にする」よう依頼しました。

「結婚式」は、なんとか無事に終えましたが、彼は「胃痛による脂汗」わたしは「打掛の締め付けによる息苦しさ」を我慢するのに必死でした。「披露宴」では、おたがい何も口にせず「ただ時間が過ぎるのを待つだけの状態」でした。また、「お色直し」も「担当者の配慮」で「休憩時間を長くとる」ようにしてくださいました。

わたしたちはまったく気付かなかったのですが、招待客からすれば「わたしたちのただ我慢しているだけの状態」が「非常に奥ゆかしく見えた」らしく「好意的な眼差しにあふれていた」ということを「担当者」より耳にしました。また、「式場スタッフのちょっとした心遣い」が大変ありがたく思えました。

結局は、「自分たちが苦しいときは、間接的に周囲の人の好意的な配慮で助けられているのだ」ということを悟りました。「わたしたちの結婚生活は、いろいろな面で苦しいことばかり」ですが、「周囲の人によって支えられているという実感が得られている」ので、毎日幸せな気分を忘れたことはありません。

これが、ふたりの将来を暗示したような結婚式を経験したわたしの率直な気持ちです。

年下の彼が魅せたサプライズに感激したマイウエディング

わたしと「七歳年下の彼」が付き合い始めたとき、彼は「就職を翌年に控えた専門学校生」でした。彼とは、「わたしが添乗員として同行した彼の高校の修学旅行」で出会ったわけですが、「年齢差もあり当然恋愛対象外」でした。一年後、偶然街で再会し、「彼の猛烈な求愛」を受けて渋々付き合うことになったのですが、「弟みたいな感覚」が強く「休日の食事やショッピング程度の付き合い」で、「わたしにとっては都合の良い暇つぶし」と言ったほうが分かりやすいと思います。

彼は、案外「努力家」で、「在学中に難関の税理士の資格を取り、税理士事務所に就職が内定」していました。わたしはというと「添乗員としての仕事にやりがいを感じていて、結婚は縁があったときで構わないという気楽な考え方」をしていました。翌年には、おたがい仕事で忙しくなり、必然的に会う機会がなくなり「メールだけで連絡を取り合う間柄」になっていました。

ですが、「縁とは不思議なもの」で、なぜかわたしが「添乗員として彼の事務所の研修旅行の担当」をすることになりました。彼は再会を喜んでいましたが、わたしはたいした感慨もなく添乗員としての業務をこなすだけの状況でした。ところが、「わたしと彼の関係を察知した所長の言葉」が状況を一変させてしまいました。

その言葉は、「あなたのような方が彼をささえてくれれば、彼の税理士としての能力が開花し、あなたにとっても事務所にとってもメリットになると思いますが、真剣に考えてもらえないでしょうか」というものでした。それがきっかけになり、「所長を媒酌人とした結婚式」に結びついたのです。

「結婚披露宴」では、「数字に強い」彼が、「緻密な将来設計書」を招待客の前で披露し、わたしに「幸せな結婚生活を約束」してくれました。予想もしていなかった「彼の毅然とした態度」に感激したわたしは、「自分が七歳も年上」ということを忘れて、彼に従っていこうと誓いました。

これが、「年下の彼が魅せたサプライズに感激したマイウエディング」の一コマです。

ウエディングスタッフの機転に助けられたわたしの結婚式

「結婚式・披露宴」には「ちょっとしたトラブル」は付きものですが、わたしの場合は、「ウエディングスタッフの機転」に助けられ、「良い想い出としていつまでも記憶に残る宴」になりました。その時の顛末(てんまつ)をここに記したいと思います。

昨年のちょうど今頃、わたしの「結婚式・披露宴」は「夫の実家のある地方の結婚式場」で催されました。「招待客は両家の親族も含め四十名ほどのこじんまりとしたもの」でしたが、わたしにとっては「はじめての主役」なので緊張感に包まれていました。「結婚披露宴」の時間が迫ってきた頃、わたしの携帯電話が鳴りでてみると「招待客のわたしの大学時代の親友」でした。彼女は、前日にも「他県で催された親族の披露宴」に出席していたので、「車での移動の最中」でした。運悪く祝日の渋滞に巻き込まれ、このままでは「披露宴に間に合わない状況」になっていました。

彼女には、「友人代表のスピーチを依頼していた」ので是非とも出席してもらいたかったのですが、それも叶わない事態になってしまいました。「彼女の欠席」を「ウエディングスタッフの一人」に伝えたところ、「携帯電話をお持ちでしょうから、それでスピーチをしていただき声をスピーカーで会場に流しましょう」という思いがけない提案をいただき、急遽彼女に再連絡することになりました。 

「披露宴の最中」に、スタッフの方がわたしの携帯電話で彼女と連絡を取り合い、無事「声だけの彼女のスピーチ」を聞くことができました。彼女とは「二次会で再会」でき、「貴重な経験ができた」と喜んでいました。ちなみに「彼女の声だけのスピーチ」はわたしの携帯電話に今もメモリーされています。

これが、「ウエディングスタッフの機転に助けられたわたしの結婚式」での「一生彼女との絆となった貴重な体験」です。